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エレファントピア

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マウンドーの女性たち

ラカイン州マウンドーの女性たち

2004年2月、ミャンマーはラカイン州北西部にあるマウンドーというところに行って来ました。このページでは、そこで取材したムスリム女性たちの素顔を紹介したいと思います。


虎と鮫

インディン村での取材は予定を押して、午後遅くなってから始まった。
私たちの車が村を通り過ぎたという午前中の目撃情報からこの方、先生たちの到着を首を長くして待っていた元訓練生の女性たちが、道路脇にある元レンタルショップ兼元裁縫教室にやってきてくれた。
ブルカと傘と靴下に身を包んだ3人の若い女性と、ブルカも被らず、はだしのお母さんたちが3人。「ミンガラーバー」「サラマリコン」と、ミャンマー語とベンガル語で挨拶を交わす。


彼女たちは数ヶ月前まで日本のNGOがこの村で行っていた、女性のための自立プロジェクト(裁縫プロジェクト)の元訓練生たちだ。
私は今年(2004年)の2月に、このNGOの活動の取材にミャンマー北西部ラカイン州、バンクラデシュとの国境に近いマウンドーという土地を訪ねた。

インディン村はこの一帯では典型的な、厳しい戒律を守るムスリムの村で、この事業を始めるのにもムラ(宗教者)の反対が強硬であったと聞いた。

裁縫コースに参加するまでは、自分で自分の名前もいえないくらい、シャイな女性たちだったと聞いたが……



挨拶もそこそこに頭の上のブルカをめくると、女性たちは待ちきれないとばかりに口々にしゃべりだした。

NGOのスタッフでもある彼女たちの元先生はラカイン人だが、彼女たちの母語であるベンガル語も堪能。インタビューの前に、ノンストップ情報共有おしゃべりが始まった。

村の女性たちからのホットな最新情報は、なんといっても「トラ」。
なんと最近村にはトラが出て来て、山の方に住む一家全員、両親と子供2人を食べてしまったという!!!
今年になってインディン村の辺りでは12人くらいの被害があったらしい。
取材の数日前にも2人男の子が食べられた、などなど。
白熱するトラトークに訓練生の一人は
「先生が怖がってもう来なくなっちゃうじゃない!」と水を注すが、
「ニュースなんだから知らせなくっちゃ!」と食べられちゃった話は続いた…。


「山の方は危ないんだね」
と、通訳を介して言うと、今度は海で鮫に食べられちゃった人の話題が。
「山だけじゃない。海も危ない。」
「山には虎!海には鮫!」
わっはっはっは!
と、ひとしきり笑った。(こわいよー)


とにかくこの土地は同じムスリムの中でも特に厳しい戒律を守っている土地であると聞く。
女性はほとんど外出しないか、外出時にもブルカや傘は手放せない。

だけれど、ブルカの下の素顔は、やっぱりふつうの女の子&お母さんだ。

訪ねてきてくれた先生を前に、
びっくりしたニュース、悲しい出来事、恋愛ゴシップ(?)。。
様々な話題が飛び出した。



虎と鮫に挟まれた村で、彼女たちは今日何をしているだろう?


(2004年10月26日)






ラカイン州マウンドーという所
マウンドーというところは、一言で説明するがとても難しいところです。なので箇条書きにしてみます。
* バングラデシュとの国境の町である。
* 人口の90%はムスリム教徒である。
* 他10%はラカイン人、ビルマ人で、多くはマウンドー町近辺に住んでいる。
* ラカイン人は「蛇とラカインを見たら、ラカインを殺せ」と言われるほどビルマ人に嫌われている。
* ムスリムとしてもとても厳しい戒律を守りつづけている地域。
* ムスリムに対しての移動規制が行われている。
* ヤンゴンから飛行機、船、車を乗り継いで少なくとも1日半かかる。辺境。
* 年間降水量5,000ミリで、それが雨季の間にまとめてドバッと降る。まさにバケツをひっくり返したような雨。
* 雨季にはCDにも皮膚にもカビが生える。カビの生えないものはない(らしい)。
* 1979年と1991年-92年にかけて、多くのムスリム住民が難民としてバングラデシュに流出した。
* で、UNHCRが来て、活動を開始した。
* ついでにNGOも来た。
(思い出したまた追加。余力があったら文章化)

そんなところになぜ行ったかというと、NGOの行っている女性のための自立支援プロジェクトを取材に行きました。(古巣だけど)(続く@5/11)


刺繍する少女/マウンドー/02/04
ヌマ(スカーフ)に刺繍するパンドーピン村のスリヤさん。習った刺繍で、生計を立てている。私もすかさず購入~(^^)(2004年2月)



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ミシュの話

彼女に会ったのは、今年の2月。
ミャンマー北西部ラカイン州、バングラとの国境沿いにあるマウンドーという超僻地に行った時の事だ。

ヤンゴンから飛行機、船、車を乗り継いで丸一日。下手すりゃ2日がかりの僻地に行ったのは、別に趣味でもなんでもなく、乗りかかった舟..もとい、お仕事でした。

電気、水道、ガス、道路、橋等のインフラは当然未整備。小学校、微妙(?)。主要産業、稲作。主要労力、人力時々水牛なアジアのド田舎である。さらに雨季の雨が半端じゃない。人の肌にもCDにもカビが生える5mの雨がドサッと降る。

横にも書いたが、マウンドーというところは、なぜだが急に厳し~いムスリムの土地柄。アジアのムスリムにあるまじき厳しさを誇っている。
宗教の価値観を云々するつもりはないが、まあ宗教に限らず、政治的に隔離差別されているだとか、女性の地位が極端に低いだとか、経済的に立ち行かない構造だとかの、しわ寄せを受けているんであろう人たちに会ってきた。


いろんな女性たちに会ったが、彼女のことは今でもよく思い出す。

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彼女を見たのは、団体が開催していた女性のための事業の参加者を集めたワークショップで。
どこへ出歩くにも真っ黒なブルカと靴下と傘が手放せない地元女性の中で、彼女はブルカも着ないで、パッと明るい緑のバティークのワンセット(ブラウスとロンジー(スカート)のセット)を着ていたので、目を引かれた。

ワークショップが始まると、文字の読めない人のために読んであげたり、書いてあげたり、いろいろ質問してきたり、積極的な性格が伺えた。

他のムスリム女性と一味違う彼女に興味を持った私は、ワークショップが終わると彼女を捕まえて早速インタビューしてみた。

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甘かった。
この事業に参加していたということは、すなわち困難な背景の元にいるということだった。

「他の女性たちといでたちが違うね?」と訪ねると、
「私はシトウェ(ラカイン州の州都)の出身だから」との答え。

彼女が5歳の時、母親とマウンドーの親戚を訪ねてシトウェからやって来て、なんと滞在中にタイミング悪く移動制限が始まってしまったという。この土地のムスリムには移動制限が課せられていて、自由に行き来ができないのだ。

以来17年間、マウンドーで母娘2人、今は彼女の娘もいて3人で細々と暮らしているという。

9年生まで学校に行き(10年生を卒業すると大学入学資格)、ブルカもヌマ(スカーフ)も身に付けずに外出し、自転車にも乗っているという溌剌とした女性だが、頼る人もいなく、生活は苦しくなる一方だという。

旦那さんはいなくなってしまったらしい。(ここではよくある)
あまりの辛さに、お母さんは精神を病んでしまった。(これもよく聞く)
娘は学校にやるどころか満足に食べるものも買ってあげられない。
彼女のいでたちを見て、町の人は悪い女(=娼婦)だと噂する。

云々。


それでも彼女なりのスタイルを崩さないのには、何か意地というか、こだわりがあるのだろうなあ。と思った。

彼女は自分はマウンドーの女性ではない。と言い切る。
彼女にとって、ブルカを身に付けず、明るい服を着て、自転車に乗るのは、地元社会ともしかしたら運命に対する精一杯の抵抗と自己主張なのかもしれない。

「シトウェにいた時のこと、よく覚えてます。こことは全然違う。ヤンゴンにも行った事があるわ。昔はよく旅行したの。」

自分も私生児である彼女は、旅行中列車の中で偶然出合った父親の話をしてくれた。
「絶対に会えないと思っていたのに。あの人がお父さんだったんだって、後でおばあちゃんが言ってた。不思議なこともあるのね。」

(この話、不思議すぎで私には理解不能だった。)


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ミシュみたいな苦労をしている人はいっぱいいて、私はいろんな人の苦労と悲しい話を聞いていた。
聞いても聞くだけだったら、聞かないほうが何ぼもマシか。とも思う。

でもなんでかミシュのことはよく思い出す。

彼女は私なんかのレベルで言ったら、もう相当不幸のどん底だけど、彼女がブルカを被らないでいる内は、まだ大丈夫。という気がするのだ。


(2004/7/8)






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